Sunday, June 10, 2018
2都市目はワイマール。
ここにはベルリン在住時に、エクスチェンジでバウハウス大学に来ていた芸大級友に遊びにおいでと言われて行ったことが一度あった。
その時に一通り観光もしたし、ブーヒェンバルド強制収容所にも行き強烈な体験もしている。
今回ドイツ→チェコ→オーストリアという旅程を考えた時、久々に寄ってみるかなと思い立ち、訪れることにした。
ベルリンからICEでエアフルトまで行き、そこからはレギオナールバン。
降り立つと相変わらず静かで小さな街。
一番の目的だったレジデンツシュロス内のクラナッハの大量の作品群はなんとその部分だけ閉鎖中で観ることができなかった。改修中というのだ。
七月末でお城全体も改修を始めるらしく、しばらく閉めるらしい。
改修前ということも手伝ってか、なんかさみしいお城の雰囲気。
バッハもワイマールに23歳~32歳(1708~1717)の時宮廷音楽家として住んでいたのだけど、そんな音楽的側面もあってかレジデンツシュロス、つまり居住用のお城には割とたくさんのピアノが残されていた。
数多くのヨーロッパのお城を見たがこんなにピアノが置かれているお城は初めてというくらい各所にあったのが印象的。
ゲーテの先生だったヘルダーさんの銅像とヘルダー教会
ワイマール市長だったクラナッハ、この街では色々な場所で関連のものが見れる。
ヘルダー教会内の見事な祭壇画。
しかしこれ以上近づけないため、ディティールを2.0の視力を駆使して眺めるしかなかった
一番の街の中心地であるマルクト広場にはクラナッハハウス
今は劇場になっているが、きちんと扉の上に「この家にルーカス・クラナッハが1552年から1553年10月16日に死ぬまで住んでいた」と書かれている。(わりと短い)
このマルクト広場にあるホテル・エレファントはヒトラーが正面入口上のバルコニーで演説したことで有名だ。
そんな歴史の舞台ともなったバルコニーだけど、今は可愛いらしい象のイラストつきで、改修中のお知らせのバナーが出てしまっている。
上に見える黒い板にはゲーテのファウスト内での一文「
Hier bin ich Mensch,hier darf ich’s sein」と書かれている。
ワイマールを終の住処とし、死ぬまで住んだゲーテの生家が博物館になっていて見学できるのだが、そこにもこの言葉がフューチャーされていた。
訳すなら「私は人間としているからここにいてよい」といった感じ。人間として生きているから存在することが許される的な言葉遣い。
彼の本など読むたびに思うけどゲーテってぐうの音も出ないほどいつも正論をかましてくる。大天才なのがまざまざと伝わってくる。
私の好きな彼の言葉の一つは「母国語以外の言語を理解できない人間は、母国語について何もわかっていない」というもの。
本当にその通りなのだもの。
こんな感じでのんびり雨の中ワイマールを観光した。
今回は10年以上ぶりだったけど、また来ることはあるかしら笑
そういえば前に来た時も雨が降っていた。曇天と雨のイメージのワイマール、晴れ女の私にしては珍しい。あまり相性が良くないのでしょう。
次は初めて行く街ライプツィヒ!
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