絹谷幸二賞をいただきました。

Monday, March 11, 2013

mainichi
主催である毎日新聞の2/27朝刊にインタビューや選評が掲載されたのでもうご存知の方も多いかと思いますが、第五回絹谷幸二賞を受賞しました。
記事の内容は毎日のサイトで読むことができます。
インタビューで言った通り、嬉しいと同時にほっとした気持ちの方が勝っています。
この賞に推薦してくださった高階秀爾先生や、応援してくださっている方々の気持ちを背負ってのノミネートだと考えていたので、ひとまず期待に応えることができたという安堵感です。
あと実はこの賞ができた当初からいつか頂けるのではないか、と密かに予感していました。

私が芸大に入った1999年は先端芸術表現科ができた年で、油絵科の入試がそれまでの何でもありな出題から、がらっと原点回帰の「絵」を描かせる出題に変わった年でした。
だから私の入学した年の子たちは絵の上手な子が多かった。それでもやはり皆大学に入ると絵を描かなくなり流行の立体や空間系の作品を作りだしました。
そんな中現役で入った私はまわりの多浪生たちみたいに色々なアートの知識がなくて、目新しいメディアで作品を作ろうとは考えつかなかったし、第一に先端芸術表現科ができたのだから私たち絵画専攻は絵画を描けばいいじゃない、そう思いました。
実際先端ができた経緯も、絵画を描く学生とメディア系の作品を作る学生を分ける目的だったのだし。
しかし、ある日アトリエで絵を描いていたら「サイが油絵描いてるって聞いたから」とクラスメートMが冷やかしにきました。
からかい半分イヤミ半分。
絵画科なのに、絵を描くことがすごく肩身が狭かったことをよく覚えています。
それでも私は自分の能力が最大限に発揮できるのはペインティングだという確信が若いながらもあったから、彼らの嘲笑を尻目に自分の仕事を続けました。
大学四年になって、卒業制作の頃になるとあれだけインスタレーションや他メディアに走っていたクラスメートたちのほとんどがペインティングに戻ってきました。
でも4年間他のものを見ていた彼らとずっと一本で続けていた私の差は大きかった。
卒業成績上位若干名に贈られるO氏賞(大橋賞)を貰い、私は大学院に進学しました。
その後のことは私のレジュメを見てもらった通りです。

今回賞がもらえたのは私がペインティングというものに対して、がっぷり四つに組み合う姿勢を評価されたからだと思っています。
ことあるごとに言っていますが、四年半に渡る欧州滞在も決して自分のためではなく「絵画」のためでした。そうでなければあんな楽しみの少ない苦しい日々を乗り越えてこれなかった。自分だけのためならこんなにハードな仕事を選ばないし、本当はもっとふわふわ楽しくらくちんに生きたい。他の女の子たちみたいに小さな幸せで満足する生活に憧れることもある。
でも絵画と自分は運命共同体だと思っているので、自分の人生を賭して向き合う覚悟はとっくにできています。

私が描かないと存在しない・存在できない絵画たちがあるということに気持ちを馳せると、やはり私が手を止めることは永遠に赦されないのだな、と思い知る。
自分の使命と向き合うために犠牲にしていることは山ほどあるけど、こうして賞がいただけたり、評価をしてくださっている批評家並びに学芸員の方々、作品を買って応援してくださっている方々がいてくださるおかげで十分に自分の身を丸ごと投げ込む価値があると実感しています。

イムラのスタッフさんに受賞を報告した際、「これからですね!」と言われました。
本当にその通りだと思いました。
今回の受賞は若手と呼ばれる時節に一つ美しい区切りをつけるものにはなりましたが、ゴールではありません。
セカンドステージも今まで通り、絵画に誠実に向き合い、作品の進化/深化をはかります。

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