one magical moment

Wednesday, August 17, 2011

絵を描いていると、魔法のような瞬間に出逢う。
それは慎重に慎重に混色した一見関係のない赤や緑が画面の上でさらにお互い混ざり合って、描く対象に一気に近づく時。
これはwet in wetと呼ばれる技法なのだけど、私は描く際一見モチーフとはほど遠い色を画面に置く。
しかしそれはその後に乗せるまた違った遠い色と画面上で混色され、ちょうどモチーフと同じ色味になるように完全に計算の上での行為で、混ざり合った瞬間、本当にまばたきの間くらいの一瞬でぐっと対象物に近い色味が生まれるのだ。
パレットの上で色を混ぜてもこの色味は生まれない。
さっきまであんなに散らかった画面に見えたのに、私の筆のストロークで次の瞬間には布は布らしく、床は床らしく、皮膚は皮膚らしい色合いに変化しているのだ。
自分が魔法使いにでもなったような驚きがそこにある。
杖の代わりに筆を揮う。

絵の具が絵の具に見えてしまったら絵画は成立しない。
絵の具が「なにか」に変化していなければ「描いた」とは言えない。
具象でも抽象でもそれは同じ事。

絵に描いた餅って言うけど、私の場合は靴を絵に描いて、それによって実際に靴を手に入れている。
魔法と言うか錬金術と言うか。
つくづく希有な仕事だ。

完成された作品は何事もなかったかのようにすました顔で衆目に晒されているけども、あの最表面を手に入れるまでに気の遠くなる時間と体力と精神力が注ぎ込まれている。
私は恰好付けだからそれを気取られまいと全精力を捧げる。
制作中の私はあの落ち着き払った画面とは正反対にうかうかとせわしなく、ただ一つの通奏低音は絵画と現実の空間双方を占める張った空気だろう。

以前はよくマシーンになってしまいたいと思った。
もし自分がpainting machineだったら、雑多な感情に左右される事なく淡々と仕事できるのに、と。
でもマシーンだったら良い絵は描けないよね。
そう考え直すとうわつく精神も必要に思えた。

カズオ・イシグロの「私を離さないで」の中でとても印象的だった部分。
これは美術に携わる人は少なからずドキッとしたのではないだろうか。
主人公たちクローンの少年少女を教育する学校では盛んに美術を学ばせ、絵を描かせている。
最後にその理由が明かされるのだが、絵を描くという事は魂を所有している証拠となるからだというのだ。
罪人たちのコピーとしてこの世に生を受けた彼らが普通の人間と等しく魂を持っている証明として、絵を描かされる。
このくだりは話の中でなによりも衝撃的だった。
真理だ、とも思った。

アーティストという仕事は知的肉体労働で、そのメンタル/フィジカルのバランスが大変面白いと私は思っている。
美術から愛されている限りは私は絵を描く事をやめない。

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