重要なお知らせ 31.03.11

Thursday, March 31, 2011

明日4/1のトークショーについての重要なお知らせをNEWSページに掲載しました。
来場予定の方はかならずチェックしてください。

you can take everything even it’s in the world filled with sorrow.

Monday, March 28, 2011

オープニングを無事に終えた私は次の日ひたすらベッドの上で過ごした。
食べるのとかお風呂に入るとき以外ずっとベッドの中。
身体に馴染んだシーツや布団は私を決して拒まない。
寝たり起きたり、たまっていた映画を見たり。
疲れている時に、休んで良い。
なんて幸せな!
疲労を喜んだのは初めてのことかもしれない。
以前にこれに似た疲れを感じたのはその昔遊び倒して日本からドイツにフライトした日だったか。
日がな一日情けないくらいまぶたが覆いかぶさってきたのを覚えている。

この一ヶ月いろいろなことが起こりすぎて、地震前の出来事が遠い昔に思える。
de la merのパーティーに行った時は、その後の世界がこうなっているとは思いもしなかった。
でも私は仕事も家族も東京で、ようやく帰国して落ち着いた所だし、西に行く事は考えていない。
パリから引き上げた時に、東京にしばらく居ようって決めたから。
逃げたい人は逃げればいい。
この状況は幸福なことではないけど、正面から受け止めて、これから見えてくるものを自分の一部にしていこうと思う。
いままでもそうしてきたように。
私の知る良識ある大人たちはこの状況を一秒も逃さないよう、東京に腰を据えている。
アーティストだろうが普通の会社勤めだろうが、関係ない。
この状況の受け止め方で、その人のその後何十年かが決まる。
私も腹ならとっくに決まっています。

いつまでも騒いでいるのって、男の人が多くない?
数字や理論が拠り所の彼らは具体的な数値が報道されるようになってから戦々恐々としだした。
にわか博士になったつもりで即席の知識を披露しあってなにが嬉しいの。
私たち女は淡々と、日常を取り戻すよう前を見る。
首都東京が経済破綻したら、日本が沈む。
東北ではない場所に住む日本人の私たちがすべきことは無為な推論ではなくて、とにかく今まで通りの生活をすることだ。
遠くに居る人は知らないかもしれないけど、今の東京は以前の東京とまるで違う。
店は早々と閉まり、人は道を歩いていない。
洋服屋はシーズンはずれのセールで客足を狙っている。
街から水や乾電池などが消えた。
車も少ない。
夜は節電のために街頭が間引かれて、お店の電気もついていないから営業中なのかどうかも判りづらい。
見慣れた夜の街がまったく違う場所に見える。
いつになるか判らないけど、大好きな東京が一日も早く戻ってきますように。

でもねぇ、悪いことばかりじゃないよ。
いつも超満員のレストランがガラガラで、「今から行けますか?」って五分前に電話しても予約できちゃう。
慌てず騒がずいつもみたいにコツコツとヒールを鳴らしてね。
ご婦人方、女はぜったい度胸よ。
悲観に暮れているヒマがあったら、可愛い服着て、男の子誘惑して、おいしいものでも食べに行けばいい。
以前と同じように。
そうしているうちに日常が戻ってくるわ。
今ならもれなく節電効果で照明がいつもより暗いから、二割増でお互いが素敵に見えるよ♡

女友達と話していて、「最近すごくお腹がすく!」という意見が一致した。
私ももれなく、右に同じ。
どうしよう、今度のトークショーの衣装がかなりミニなので、今太るわけにはいかないのに(笑
こんな状況だから、本能的に摂食行動で体力を補おうとしているのだと友人の一人は分析している。
確かにそうかもしれない。
このだらしない食欲は野生の証明だと思って、無理に押さえることはしないでおこう。

地震の後、いろいろ面白い出来事があった。
有事には人間のいろいろな側面が見える。
ここでは言えないことも多いけど! うふふ
信じられる人、そうでない人の境界もはっきりしてきたかもしれない。
今は人と人の結びつきが強くなりやすい、そういう時節なのでしょうね。

———————————–

展示に来るつもりの友人方へ、

私は会場にはまったく居ません。
金曜日のトークショーも同席する有名人二人の効果でおそらくたくさん人が来ることが予想されるため、あまりゆっくりお話できないかもしれない。
会いたかったらメールしてね;)

明日は

Friday, March 25, 2011

entrance
オープニングです。
正直、今回の展示はすごいですよ。
今までで一番の出来。
ベストを尽くしました。

というわけで、皆さんに会場で会えるのが待ち遠しいです。
早い者勝ちでヴーヴクリコもあります♡
明日のスタイリングは美しすぎる姉が担当しました。ヘアは今やアクア副店長JUNで、メイクはセルフ。
私の靴に(脚に、じゃなくて。)注目してね;)

お友達引き連れて、みなみなさまで来てください。

Notification / お知らせ 19.03.11

Saturday, March 19, 2011

two paintings on work page added.
link to solo show’s information sight added on news page.

新作2点をworkページに追加いたしました。
そしてnewsページにimura art galleryの展覧会詳細ページへのリンクを貼りました。

想うということ

Wednesday, March 16, 2011

one-thing2
いつもと変わらない朝。
ベッドに入ったままiPhoneで一通りメールチェックをして、友人に他愛ないSMSを送った。
寝起きの重い身体を持ち上げてキッチンへ向かう。
水を飲み、ヨーグルトを食べて、顔を洗い、服を着替えてアトリエへ移動。
すべていつも通りだ。

外は少しだけ曇っている。
アトリエに入ってくる光は黄色く明るかった。
友人からSMSの返信。
女同士の気の置けないやりとりを続ける。ああ楽しいなぁと感じた。
ふとアトリエで先日の撮影のためにむき出しになったままの作品数点が目にとまる。
もう一ヶ月近くこの状態で放置してあって、毎日片付けなくてはと思いながらもずっと放ったままだったが、なぜか急にやる気が出てプロテクターに次々と作品をおさめた。
ビスもすべてとめ、木箱のふたもして、壁にきちんと立てかけた。

それから昼ご飯を食べた。
何を食べたかは覚えていない。

午後からはもうじき始まる個展に向けた最後の作品に打ち込む。
この絵が完成したら個展に出す作品が全て揃う。
音楽を聴きながら、描いたり眺めたり、とにかく仕事に集中。
ほどなくして、その時が来る。

アトリエが揺れた。
地震なんていつもの事。少し待てばおさまるだろうと冷静に振る舞う。
でもいつもと違った。
一向に止まない揺れに事態を悟った私は、アトリエを飛び出して廊下に置いてあった先日完成させたばかりの個展のメイン作品である120号の元へ走った。
必死で絵を押さえた。
しばらくの時間が過ぎたけど揺れは止まなかったので、一瞬だけ手を離して玄関を開けに行った。
外には家から飛び出した近所の人が数人見えた。
どれくらいの時間が経ったか判らないが、激しい揺れが治まり、作品も無事でほっとしながらアトリエに戻った。
午前中私に虫が知らせたのか、気まぐれに小作品は片付けていたので問題なかった。
もうじき始まるアートフェア東京に出品予定の100号作品が棚の上から落ちかけていたが、運良くカーテンに引っかかり、宙で止まっていた。
絵の前には脚立があり、もしカーテンに救われずに倒れ込んでいたら、ひどい傷がついただろう。
奇跡的としか言いようのない恰好で100号作品は事なきを得た。
亡くなった祖父母の家を私が仕事場として使わせてもらっているのだが、彼らが守ってくれた気がしてならない。
それくらい私が急に作品を片付けたり、100号が宙で止まっていたりする事が不思議なのだ。
祖母は私の絵が大好きだった。

家族は全員無事だった。
家のものも何一つ壊れなかった。
友人も皆無事だ。

でも家の外の事、特に東北地方の被害については言及するまでもない周知の事実だ。
3月11日14:46を境に、日常はいとも簡単に崩れ去り、非日常という現実が用意された。

テレビで続々届く衝撃的な映像を見ながら、フェイスブックで海外の友人に無事を伝える。
さすがにみんなのレスポンスが早い。
世界中が日本で起きた事にショックを受け、テレビやネットにクギ付けだった。
デンマーク人のいとこたちは、彼らの仕事が終わるなり、急いでメッセージを私に送ってきた。
職場の仲間や友人たちも「日本にいる君のファミリーは大丈夫なの?」とすごく心配してくれていたそうだ。
いとこたちは、「サイやサイの家族が無事だと彼らに伝えられるのが本当に嬉しい。」と言ってくれた。

原発の問題は日本以上に海外ではシリアスに報道されている。
この数日はさらに欧州の友人たちからのチアアップのメールが増えた。
みんな心から心配してくれている。
仲の良かったフレンチジャーマンの女の子からのメールはこんな風だ。

「hi Sai、
私はあなたやあなたの家族、そして日本の人たちの事をすごくたくさん考えてるよ。
私たちは常に何が起こっているかについて情報をアップデートするようにしているけど、今はただこれ以上悪くならないようにって祈る事しかできない。
私に何か出来る事があったらただただ私に知らせて!
あなたはいつだって私に電話できるし、メールを書いてくれてもいい、もし事態がもっと悪くなればベルリンの私の家に家族と一緒に来たっていいんだからね!OK?!」

ポーランド人の女の子は「被爆から身体を守る方法を調べたわ!」と言って、いろいろ書いてくれたり。

ベルリンやパリで出逢ったいろいろな国の友人たちが毎日たくさんの温かいメッセージをくれる。
嬉しくて涙がぼろぼろこぼれる。
私が出会った人たちが、私を通して日本を身近に感じ、気にかけ、他人事ではなく今回起きた出来事に真剣に向き合ってくれているのだとしたら、苦しい思い出も多い私の四年半の欧州滞在は少しでも意味を持つのではないか。
白人社会においてどこの馬の骨とも判らないアジア人の私なりに、精一杯彼らとコミュニケーションしてきた事が結実し、四年半が決して無駄ではなかったのだと思える。

一人だけデリカシーのないつぶやきをフェースブックでしている友人がいた。
「金曜の夜クラブに行ったら長蛇の列だったけど、ドアマンに自分は日本人だと言ったらかわいそうがってすぐに中に入れてくれたよ!何か?」
といった内容だった。
彼はドイツ生まれドイツ育ちの華僑で見た目は完全アジア人。ウォン・カーウァイの映画に出てきそうなひょろっとした妙に色っぽい男の子だ。
しかしフェースブックでお互いが発信している内容をいつでも見れる状態で、自分の友人一覧の中に日本人である私がいる事を忘れてたのかしら。
ジョークのつもりでも今は面白くない。
最初のデートに30分も寝坊して私をレストランに待たせるような男よ。気取ったインテリだけど、やっぱり鼻持ちならないヤツ!!と思わず電話で友人に報告してしまった。
でも彼以外はみんな、本当に優しいです。
ちなみに彼とはその後デートを繰り返す事はありませんでした。(当然!)

私の大切な友人の一人の実家が岩手にある。
被害が比較的小さな地域に彼の両親は住んでいるのだが、東京に住む彼は地震発生当初は少しも連絡が取れずにきっととても憔悴していた事だろう。
地元に残る彼の友人が車で家に向かい無事を確認してくれて一息ついていたが、次の日にはバイクで単身現地に向かった。
道路が数々寸断されている中で、必死で最良のルートを割り出し、普段の二倍以上の時間がかかりながらも家族の元に駆けつけた彼は素敵だった。到着後は家族や親戚の手伝いをせっせとしている様子だ。
長い付き合いの友人だけど、いつだって心優しいあなたの事が私は誇らしいよ。
凄惨な状況も目にしただろうに、それでも東京にいる私の心配もしてくれてメールの最後には「お互い元気で、会おう。」なんて書いてくれた。

生まれも育ちも東京の私にとって、故郷という感覚は海外に出て初めて味わった。
ドイツやフランスで常に感じていた事は、自分がいない間に家族に何かあったらどうしよう、だった。
また、家族に何かあったらすぐ帰る、というのが在欧の友人たちを含む共通見解だ。
たびたび起こる地震や近隣国とのトラブルの度に、ひどく遠くに住む自分の無力さをひたすら暮れていた。
現在在欧邦人の友人もたくさんいる。
彼らも今その無力感に苛まれているのが私にはよくわかる。
今回こういった状況になっているが、それでも家族の近くにいれて心の底から良かったと思っている。

こんな時だけど、個展まで10日を切った。
日常でできる後方支援はもちろんだけど、今回地震があった時に描いていた作品が展示で売れたらその売り上げの一部を日本赤十字に募金します。

2006年に描いた作品で “Let’s just make one thing we can all have when it all crumbles down”というタイトルのものがある。
すべてが崩れ落ちた後、私たちみんなが持つことのできるものをひとつだけ作りましょう。
それが今回のエントリーの画像です。何年も前に期せずしてこんなタイトルを付けてしまったのだが、私の作品の中でもかなり気に入っているタイトルだ。
ドイツに住み始めて一番最初に描いた絵で、受け入れ大学の教授に「それは君の自画像かい?」なんていわれたな。

アーティストに何ができるのか。私には私なりにできることがあると信じて。

shoes 9.mar.2011

Wednesday, March 9, 2011

IMG_0406
mark:forever21
type:gradiater sandal
colour:grage
hight:10.5cm

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