Giuseppe Zanotti and World Cup

Monday, June 14, 2010

sai
最近靴を5つ買いました。
そのうち3つは最愛ジュゼッペ様のお靴!
ビジュー付きサンダル、レオパード模様、そしてちょいグラディエーター!どれもこれもお美しい。。
惜しむらくはパリではほとんど活躍の場がない事。
石畳にヒール部分を傷つけられ、足下をすくわれ、アパルトマンの半径10mで今まで何度アフリカンのブラザーに話しかけられたことやら…フェミニンな服装の日ほどその率は高く、本当にこの国では”女は女である”と実感させられる。

そしてこのところ我が家のある9区と10区と18区の境目は数日置きにそのブラザーたちがDNAに刻み込まれた天性のアフリカンビートを太鼓とその歌声で披露しており、大変にぎやか…
そう、ワールドカップ。
アフリカ系の国の試合があるたびに、その国の輩が駅周辺に旗を持って集まり、応援する声が町中に響きます。その声で試合の結果がわかりそうなくらい!
今日もさっきから駅周辺でわーわー聞こえているのでどこかの試合があるんだろうな。

前回のドイツ大会は、まさに決勝の地、ベルリンにおりました。
本格的に住み始めた年でまだドイツのこともほとんどわからない時だったのですが、ドイツ人の友達などと連れ立ってカフェで観戦したり、スペイン人の友人と日本戦を観戦してなんか恥ずかしい気分になったりと、けっこう良い思い出です。決勝はイタリア人の知人のレストランで見ていたため、ジダンが頭突きをくわらした瞬間などのブーイングはすごかった。もちろん優勝の瞬間の盛り上がりもひとしお…。

大会中に川岸でのんびり友人とくつろいでいたら、そこには一人で酔っぱらい叫んでいる中年男性が。
べろべろになっているらしく、言っている事が聞き取れなくてドイツ人の友達に通訳をしてもらったら「ドイツが勝っているのは、ドイツチームのほとんどがポーランド人だからだ!クローゼは完全にポーランド系だし、xxx(名前忘れた)だって母親がポーランド人だし…………」と次々にドイツ代表の名前を列挙してはポーランドとの血縁関係を叫んでいたらしい。

夜バーに飲みに行けば外国人に話しかけられ「ボクノ コドモヲ ウミマセンカ?」としょうもない日本語を言われたり。そういう時はいじわるして、首をかしげ意味が分からないふりする。そうするとたいていちょっと恥ずかしそうに自分の日本語まちがってたかなー?!って顔していなくなってくれます!
いつも思うのですが、こういう日本語を外人に教える(また逆もしかり。)人がどうして後を絶たないのだろう???
大会中はベルリンの町中に世界中のサポーターが大挙して押し寄せてきており、街の中心地に大学があった私はその通学路を横切るのも一苦労で、早く終わってほしいと切望していたのでした。

今大会は家にテレビもないし、ひいきの選手もいないので、私の中での盛り上がりはイマイチ。
でも初戦はラジオ観戦で日本の勝利をリアルタイムで喜びました。
個人的にはいとこや叔母がデンマーク人なので、デンマーク戦は完全にお強いそちらに譲ります…という気分。
そういえばベルリンのときの語学学校にすっごく性格のいいカメルーン人の男の子がいたなぁ。明るくていつもクラスの中心になってた。
いつか私が日本のテレビで「カメルーンとは現地の言葉で『エビのながれる川』という意味」といった内容を見た事があり、それを彼に話したところ、「外国人でその事を僕に話してきたのは君が初めてだよ!」と喜んでくれました。どこぞで聞きかじった浅学も異文化交流やパーティートークでは役に立つものです。
オランダはスキポール空港を何度となく利用はしたものの観光はしたことない…個人的に知っているオランダ人は気のいい人が多い、かな?あと、英語がうまい。ドイツ人もうまいけど。オランダ語は現存する言語で今一番英語に近い言葉と言われています。

などなど対戦国や参加国に思いを馳せていたら、日本にいた頃には考えられないくらい色々な国の知り合いができている事に少し驚いた。
袖触れ合うのも他生の縁、
とても好きな言葉。
「多少の縁」だと勘違いしている人多いけど、けっこうそれだと意味が違ってしまう。
出会いに偶然はないとしみじみ思わされます。

今度のジュゼッペの靴は私をどこに連れて行ってくれるかな♪
ちなみに私、10センチ以上のヒールでも平気でスポーティーで超タイヤの細いシティーバイク(写真)乗り回します。ベルリンでは少年のような青いマウンテンバイクにやはりハイヒールで乗ってました。
それで車道とか走っちゃうのです。
こう見えて自転車好きなんです。
写真は東京に住んでいるオーストラリア人の友達がもうじき高円寺に自転車やさん兼カフェ(で合ってる?!)を開くというので、そのイメージで頼まれて撮ったもの。
お店の完成が楽しみね。
早く遊びに行きたいな

rest in peace,dear Louise

Wednesday, June 2, 2010

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ルイーズ・ブルジョワが亡くなった。
98歳。
フランス生まれの彼女はすばらしい彫刻家だった。数年前のベネチアで最高齢で賞をもらった事も本当にすごい事だった。
彼女の作品の主核は「痛み」だったそうだが、確かに彼女の作品を見るたびにひりひりと私の心も痛みを共有したものだ。彼女について書かれた多くの本より彼女の人生は辛苦の多いものであったと容易に知る事ができる。
彼女のいろいろなメディアを使った彫刻作品もすばらしかったが、平面作家の私はやはりドローイングに惹かれるものがあった。手数も少なく、色彩も最小限のドローイングたちは、彼女が、ひいては女性が内包する不安感や獣性を強烈に訴えた。ポンピドーセンターにもコレクションがいくつもあり、現在もelles@pompidouにて見る事ができる。
生半可なフェミニズム論などがふっとぶような、彼女にしか表現できない女性性を常にエスタブリッシュされたスタイルで提示していた。
私は彼女の作品の前に立つと、閉じ込めていた自分の孤独感や秘密が急に露呈したような気分になり、じっと動けなくなりながらも目をそらしたくなる。
画集も欲しかったけど手元においていつでも見れる状態にする事が、自分の古傷をえぐる作業に思えて結局一冊も持っていない。

日本では六本木ヒルズのシンボルとしてのmotherという蜘蛛の巨大彫刻が一番知られているだろう。このメス蜘蛛はおなかの中にマーブルでできた卵をいくつか孕んでいる。
彼女は結婚して子供を産んでからも、作家として成熟できた希有な存在だ。
多くの女性アーティストが伴侶を得て、子供を持つと作家としての鋭さを失って行く中で、彼女はむしろさらに女性という性を深く掘り下げる事に成功し、すばらしい作品を作り続けた。
本当に尊敬します。
自分もそうでありたいと心から願います。
辛い半生だっただろうが、女性が生涯現役の一流作家でいられる事を体現してくれたブルジョワに感謝の気持ちを込めつつご冥福をお祈りいたします。

フランスには彼女のようにたまにとんでもない女性性をもった人物がいる。タイプは違うが、マルグリット・デュラスにしてもそうだ。平素女らしいと評される私でも(自分では全くニュートラルに振る舞っているつもりですが)、デュラスの小説を初めて読んだときはその女っぷりに「か…勝てない。。。」と心底敬服したものです。
そういえば昔エマニュエル・べアールが主演した映画で「フランスの女」というのがあったけど、この際観てみようかしら。

さてここからは余談だけど、ヒルズの蜘蛛、実はけっこう厄介な存在だったりする。
というのも、話によると、蜘蛛というのは風水上不吉な生き物で、それがやはり風水上最悪な位置にヒルズでは置かれてしまっているらしい。
だからこの彫刻の目の前で、子供が回転扉に挟まれる事件が起きたり、ヒルズに会社を構える大企業が次々と撤退を余儀なくされるような事がおこっているのだそうだ。数年前のホリエモンの逮捕劇しかり…
アートがただのオブジェクトではなく、環境にも大きく影響する力を持ち、支配する存在であることを知らされる。(しかしこの場合は決してブルジョワが邪悪なものを作った、という意味ではない。アートとはそれだけインフルエンシャルな存在であるという事だ。)
いつかギャラリストの三潴氏が「毒にも薬にもならないものを作っても意味がない」といった内容の事を話されていたのを今でもよく覚えている。
本当にその通りだと思う。

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