想うということ 2

Monday, April 11, 2011

IMG_0315 このタイトルでもう一回ダイアリーを書くことになるとは思っていなかった。 でも3.11以降私の住んでいる世界が一変し今まで通りで生きられなくなった以上、その変化に伴い想うことも多いのです。 最近思考を巡らせたのは、死者を想うということ。 私はドイツに住んでいた頃祖母を亡くした。 最後に見た元気な祖母は、いよいよ渡独の日が来て、両親が私を車で空港に連れて行く時に、自宅の玄関で車が見えなくなるまでずっとずっと手を振っていてくれたちいさな姿。 ドイツにも何度も手紙をくれて、「さいちゃんの顔をもう一度見るため、がんばります。」なんて書いてくれてたのに、ついにそれは叶わなかった。 事情があり日本に帰国できなかった私は家を出るまで25年一緒に住んだ祖母の葬式にも出ることができなかった。 大好きだった祖母を亡くしたというのに飛んでいけない無情な距離感にその頃は毎日泣きくれていた。 それでも私は当時お葬式に行けなかったことを祖母はちっとも怒っていないだろうと感じている。 私が芸大に入ったときは大喜びし、私の絵が本当に大好きだと言ってくれていた祖母だから、欧州で頑張っている姿を見せないと逆に悲しませると思った。 式はおろかお墓参りだってなかなかできないけど、私が彼女を毎日想い出し、語りかければ絶対に彼女は幸せに眠ることができると信じた。 外国生まれだった彼女がクリスチャンだったこともあり、欧州で私が彼女に語りかけたくなった時は近所の教会に行き近況などを報告するようにした。 それはただ気持ちが静かに集中できるからであり、本当は想う場所はどこでも良いのだ。 4/1のトークショーの数時間前、親しい友人から携帯にメールが届いた。 前日遊び倒して昼過ぎまで寝ていた私の頭ではとっさに理解し辛い内容だったが、知人と友人二人が同時に亡くなったいう内容だった。 大事な仕事の日と知っていながらこんな内容のメール送ってごめんと友人は続けて綴った。 いろいろな憶測が飛び交っているから、変な形で知るよりもきちんとした内容で私に知らせたかった為に、やむを得ずの判断だったらしい。 少し混乱したが、折しもその日はエイプリルフール。 私はとにかくこれは嘘だと思うことにした。 すごく信用している友人からのメールだったが、彼も意外なことするなーなんて思いながら。 嘘に付き合ってるヒマは今日はないよーていうかアイツ間が悪すぎ!そんな風に考えながら準備をしているうちに少しずつそのことは頭を離れていった。 この日は他にも心配事があったりで、ばたばたと時間が過ぎ、トークショーを終える所まで無事に行きつきほっとした頃メールのことを思い出した。 打ち上げの席で一緒に食事をとっていた別の友人に「そういえば今日すっごい変なメールが来たんだよ。エイプリルフールにしてはタチが悪すぎるよねっ。」と私は言い文面を見せた所、彼女の顔色が変わった。 「さいちゃん、いくらなんでもこんなことエイプリルフールで言うかな?」 それを聞いて私も再び不安になり携帯でニュースを検索した所、知人二人の名前が訃報として報じられているのを見つけてしまった。 のろのろと鈍いショックを受けた。 エイプリルフールと自己暗示にかけてこの日を乗り切ったものの、事実は変えようのないシリアスなものだった。 でも本当は最初にメールを受けた時点から、覚悟していたことだったのだ。 衝撃がバラバラと時差でやってきたことで、打ちのめされるような苦しみは受けなかったが、気持ちが昂りきらなかったせいで整理を付ける方法もよくわからなくなった。 翌日朝、布団からいつまでも出たくなく、手元の携帯でメールをくれた友人に電話をかけた。 葬式などの日程を知らせた方が良いかと彼に聞かれたが、たぶん私は行かないと思うと彼に伝えた。 式に行ったら自分が望む形で想ってあげることができなくなると思ったから、祖母にそうしたように、私は死んだ友人のことも気持ちの中で想い続けていきたい。 祖母を弔った方法が自分の中で出来事と向き合う方法として納得のいくものだと今の私は考えている。 彼は逆に、亡くなったことを完全に受け止めたいから式に出るつもりだと教えてくれた。 本来死者を想う方法に決まりはない。 私は私の、彼は彼の方法で彼らを想ってあげればそれでいい。 亡くなったうちの一人は私が18の時に出会った女の子で、私をとても慕ってくれていた。 さいさーん って呼ぶ声、忘れられない。努力家で才能もある子だったから、私は後輩として誰よりも彼女をかわいがった。 あれから12年経ち、干支が一周してしまった。 やっぱり節目だ。 近しい人が亡くなるたびに、後悔ばかりする。 なんでもっと…って毎回思う。 彼らとの幸せな記憶ばかり浮かんでくる。 死んでから想い続けることも良いことだけど、本当はやっぱり生きているうちにたくさん気持ちを伝えたい。 TVで被災地に援助物資を満載したトラックとともに乗り込んだ僧侶のドキュメントをニュースの枠でやっていた。 多く遺体が収容されている体育館や、津波の起きた海岸で海に向かってその人は読経しつづけた。 自然と周りに人が集まり手を合わせる。 家族を亡くした人が涙を流しながらお礼を言っていた。 これでようやくほっとできます、と。 お坊さんって、すごいなぁと今までの人生の中で一番思った。 東北だけでなく広い範囲の人々の心も被災していると最近よく感じる。 どうか暖かな春が、美しい桜の花が等しくみんなの上に訪れますように。

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